第54回 防災アカデミー
鸚鵡籠中記にみる自然災害
講演者
溝口常俊(名古屋大学環境学研究科教授)
紹介
 溝口先生は、日本における近世・近代の地域論、ベンガルの地域環境史研究を研究テーマとされており、歴史地理学、 地域研究、南アジア研究など幅広い研究分野でご活躍されています。
 現在の防災、減災を考える上で、過去の災害について知ることはとても重要です。溝口先生は、江戸時代中期の27年間に わたって記録された長大な日記、「鸚鵡籠中記」に記された膨大な記録をデータベース化することにより、当時の日常 生活や自然災害による被災状況などを読み解くことに挑戦されています。
 近年の著作には共著『南アジアの定期市−カースト社会における伝統的流通システム』古今書院、2006や監修『古地図で見る名古屋』樹林舎、2008があります。

参加者の感想
 

 今回の講演では、鸚鵡籠中記の膨大な記述の中から、地震・風水害・火事に着目し、江戸中期の名古屋では、どんな災害が発生し、また人々はそれらをどう受容していたかを知ることができた。鸚鵡籠中記は、武士の生活を身近に感じられる史料として知られるように、人と人との関わりばかりに目を向けがちになるが、“太平の世”というイメージの元禄期にも、日常的に発生する自然災害によって、城下の暮らしは決して平穏なだけではなかったことに、改めて気づかされた。特に興味を惹かれたのは、まず、被害のなかった軽微な地震も記録されていたことで、近世名古屋が経験した地震の全体像から、大地震を捉えなおし得たこと。そして、揺れの原因がわかっていなかったはずの時代においても、人々は驚くほど冷静に、まさに日常の中で、地震と付き合っていたらしいことである。
 講演後半にあった「名古屋は地震に強い町だったのではないか」との指摘も印象深いが、日常的に地震を感じていたからこそ、一次的な被害はもとより、人心の荒廃や混乱による二次被害が大きくならなかったのではないか、と想像する。翻って現在に目を向ければ、掲示板、ブログなどウェブ上を中心に、個人的経験を集積する場が数多くあり、実際、小さな地震にも、その都度、体感や目撃に基づく情報が発信されている。しかし、そうした情報が、災害の記録として保存される、まして鸚鵡籠中記のように世紀を超えて長期間残し伝えられていく見込みはなさそうである。今回の講演を通して、日常的に繰り返される地震に対し、人々がどのように付き合っているのか、という情報は、防災への意識をいかに高めていけばよいか、などといった施策を考慮する上での重要な手掛かりになるのではないか、との思いを強くした。都市の物理的構造というよりも、大小の地震に苛まれ続けたことによって培われたであろう、名古屋の人々の冷静で鋭敏な地震への感性を発見することこそ、「名古屋は地震に強い町」という指摘の趣旨ではなかったかと思う。こうした高い意識を不断に持ち続けるためにも、観測に基づく記録だけでなく、主観的、局地的な災害情報も、体系的に保存し、活用できる仕組みがあれば、と考えた。

平松晃一(環境学研究科修了者)










次回予告

 次回の防災アカデミーでは、時事通信社の中川和之さんに「伝え手から見た阪神淡路大震災15年−社会はどう変わったか−」というタイトルでお話しいただきます。
 中川さんは現在、時事通信社で編集委員および「防災リスクマネジメントWeb」編集長をお務めになられています。阪神・淡路大震災以前から地震や災害に関心をもたれ、震災直後には厚生省担当記者として現場をご覧になってきました。また、地震学会において普及教育活動として、小学生サマーセミナーを企画されたり、災害情報学会の立ち上げやその後の活動も支えて来られたりしました。 防災リスクマネジメントWebには、最新の防災関係の情報が常に掲載され、災害・防災情報の普及に大きく貢献されています。(http://bousai.jiji.com/info/)また、名古屋における防災の取り組みに対しても応援してくださり、“防災でも元気印「恐るべし名古屋!」─その仕掛け人たち”という本も作ってくださっています。(http://jijipress-shop.com/SHOP/021.html)
 「マスコミ」とか「記者」ではなく、「伝え手」と表現される中川さん。そこにどのような思いが込められているのか、そのあたりのお話も伺えると思います。

写真撮影:石黒聡士・稲吉直子