名古屋大学防災アカデミー

第44回 「TSUNAMI文化を世界へ!」

講師: 首藤 伸夫 (日本大学教授/東北大学名誉教授)
場所: 環境総合館1階 レクチャーホール
日時: 2008年11月17日(月)18:00-19:30



津波災害の実態や防災策、防波施設維持の重要性についてお話していただきました。

今回の出席者は76名でした。

TSUNAMI研究の権威、首藤伸夫先生。
写真撮影:稲吉直子

セミナーに参加しての感想

 一度津波の被害に遭った地域では、被害を生き延びた人びとがその経験を次の世代へと伝えていくことが非常に大切だと思います。津波はどこでも同じようにやってくるのではなく、その地域の地形などの条件で、その被害のもたらし方が変わってくるからです。
 今回の首藤先生のお話にあったように、例えば、明治三陸大津波の被害に遭った岩手県田老町の人びとは、町に堤防を築き、避難を考えた十字路を作るなどの津波に対する工夫を行っていました。さらに、津波の被害に襲われた経験のある場所では、高い人工地盤が築かれたり、津波避難ビルが建てられたり、津波の危険を知らせる警告板が設置されたりしています。しかし、その津波の記憶を伝えていくことは、とても難しいと思いました。どうしてかというと、津波の被害に遭った経験を生かした防潮堤や津波防波堤、津波水門、河川堤防嵩上げなどの防災施設が効果を発揮するのは、100200年後かもしれないからです。
 人間はとても忘れやすい生き物です。その地域で直接津波の被害に遭った世代がいなくなった後にも、そこで実際に役に立つ文化を根付かせるために私たちは努力する必要があるのだと思いました。津波の被害に遭ったという辛い経験を、悲しい記憶として封印してしまうのではなく、次の世代へ伝え、地域の文化として根付かせることが私たちにも課せられた次の世代への課題なのだと思います。 
松本 みゆき 教育発達科学研究科・大学院生)

 本講演では、日本のみでなく世界における津波の例も多く取り上げながら、津波のメカニズムとそれに備える試みについてお話いただいた。
 スマトラ沖地震・津波以降、津波被害のあまりの大きさに、対処防衛の声が高まっている。では、津波にはどう備えればよいか、どう防げばよいか。この点に関し、海外の伝説・言い伝えを引いてご説明いただいたのだが、そこで一貫して主張されていたのは「固定観念に囚われない」という事のように思う。例えば「津波は地震が起こらなければやってこない、津波が来るときは潮が引く」といった固定観念。これにより命を落とした例は明治29年の岩手に見られる。
 他に、言い伝えに忠実であったばかりに被害を受けた「津波は横に見て逃げろ」・「津波は背にして逃げろ」という観念。この点は局地的には有効かもしれないが、「逃げて高所に至った結果助かった」という共通項を見出すべきであった。
 そして、「防潮堤があれば大丈夫、堤防を二重にすれば・高くすれば防げる」という根拠の希薄な固定観念。津波防災といえば防潮堤が思い浮かぶ程、誰もが頼る施設ではある。しかし岩手県島の越の例を見るように、防潮堤が仇となって、耕地・宅地部分がため池の様になってしまったという被害実例もある。
 またここで、首藤先生の二つ目の主張として「防災施設は維持こそが重要」という点が見出される。
 防災施設というものは、造れば安心と見做されがちである。しかし、そうした施設(防潮堤・避難場所に指定されている高層建築物など)は、風雨にさらされ、時には地震にも見舞われ、破損だけでなく経年劣化も当然発生する。そうした状況を認識しないままで、いたずらに防災施設を造っても、いざという時に期待通りに機能するかはわからない。
 逆を云えば、防災施設を日ごろから維持する活動が地域住民によって行われれば、その活動を通して自ずと防災意識や災害の正しい認知が促され、防災施設に頼りきりにならない防災が行われ得ると先生は説かれたのである。
 最後に首藤先生は人間の記憶に焦点を当てられ、「災害をすべて覚えていれば、心に負った傷は癒えない。だが、全てを忘れてしまえば危機を回避できない」という内容を語られた。すべて覚えている必要はないにしても、科学技術の発達により明らかになっている津波のメカニズムを広く周知し、固定観念に囚われない形で応変に防災を行うという心積もりが肝要だと感じ、それが課題であると考えている。
阪井 秀太郎 (環境学研究科・大学院生)

 

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